見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

曽田正人「昴」「MOON -昴 ソリチュードスタンディング-」

昴(1) (ビッグコミックス)昴(2) (ビッグコミックス)昴(3) (ビッグコミックス)昴(4) (ビッグコミックス)昴 (5) (ビッグコミックス)昴(6) (ビッグコミックス)昴(7) (ビッグコミックス)昴(8) (ビッグコミックス)昴(9) (ビッグコミックス)昴(10) (ビッグコミックス)昴 (11) (ビッグコミックス)
「昴」(全11巻)

Moon 1―昴〈スバル〉ソリチュードスタンディング (ビッグコミックス)Moon 2―昴〈スバル〉ソリチュードスタンディング (ビッグコミックス)MOON -昴 Solitude standing-(3) (ビッグコミックス)MOON -昴 Solitude standing-(4) (ビッグコミックス)MOON -昴 Solitude standing-(5) (ビッグコミックス)MOON -昴 Solitude standing-(6) (ビッグコミックス)MOON -昴 Solitude standing-(7) (ビッグコミックス)MOON―昴 ソリチュード スタンディング― 8 (ビッグコミックス)MOON -昴 Solitude standing-(9) (ビッグコミックス)
「MOON -昴 ソリチュードスタンディング-」(全9巻)

曽田正人は、少年チャンピオンで連載されていた「シャカリキ!」を気に入り、以来読んできた漫画家だ。
シャカリキ!」の連載開始が’92年。それから現在の2016年まで24年である。
しっかりと生き延びたベテラン作家だろう。
描き終えた連載漫画は「シャカリキ!」「め組の大吾「昴」「MOON -昴 ソリチュードスタンディング-」「capeta」の5作。
多作なほうではないと思う。

「昴」は連載時に読んでいた。
ただ、主人公のエキセントリックなキャラクターについていけなかったのと、
読んでいて感じる作者の思いの強さが、逆に物語の説得力を失わせ、
描いている側の熱は感じるのだが、
読んでいる私は逆に冷めてしまい、いまひとつ作品の流れに乗れなかった感があった。
もちろん面白いのだが。

曽田正人という人は“異能の人”を描き続けてきた漫画家だ。
それは、“Gifted”という言葉で説明されるようなたぐいのものである。
努力で身に着けるものなどではなく、“与えられた”特別な能力だ。
ただ、その代わり、その人物には通常の人間がもつ何かが“欠けている”。
彼の作品はおおむねこんな感じの話である。

“何か「特異な才能を与えられた人間」が、その能力を生かす世界に飛び込んで、異彩を放ちながらも孤独を感じ、そしてさらに成長、その力を発揮していく。”

近年は「テンプリズム」のようなファンタジー的な作品も描いている。
ただ読みで数話分読んだが、ベタなファンタジーやRPGのような“わかりやすいストーリー”が展開していた。
アマゾンのレビューを読むと従来のファンからの評判はすこぶる悪かった。
ただ、これも“giftedな主人公”が活躍するという点では、今までの曽田作品の流れから外れるものではない。
もしかすると、曽田の作家としての資質がうまくはまる商業作品になっているのかもしれない。
読んでみようかと思った。

で、「昴」「MOON -昴 ソリチュードスタンディング-」の感想メモを以下に書いてみる。

やっぱり変てこな話だった。
ただ、以前感じた表現の上滑り的なものは今回は感じなかった。
全身全霊といっていいくらいの作者の力のこもった作品だったと感じた。
そして描ききった作品でもある。
作者本人も「MOON〜」最終巻のあとがきに登場して「自分の代表作」と語っている。

「昴」に関しては「ボレロ」を演じるシーンが、表現者・昴としてのひとつの頂点となっていたと思う。「ボレロ」が終演したシーンの10巻で終わっていれば素晴らしかった。
実は、私は勘違いして、今回再読した際に、10巻で「昴」が終了するものとなぜか思い込み、10巻「ボレロ」の終演で「昴」が終わり、この唐突な終わり方はすごい! と思っていた。
昴のちょっとした恋愛話は「MOON -昴 ソリチュードスタンディング-」でのことだと記憶をすり替えてしまったのだ。
ただ、その後に11巻があったことを知り、それを読んでちょっとがっかりした。
あのエピソードを入れたことは作品的には失敗だったと思う。

とはいえ2作とも作品の“熱”に引き込まれたのは間違いない。

ただ、「この話、いったいなんだったの」となると何か腑に落ちないものが残る。
何か説得力が足りない、物語の落としどころがうまくない、そんなものを感じる。
整合性、バランスは欠いた作品ではあると思う。
ただ、魅力的な作品であることは間違いない。

特に気になったのは、以下の点である。
作中で昴が“生き急いでいる”“短い期間で生命を燃焼させてしまうタイプ”という指摘が何度もある。
基本的にラスト周辺まで全編が昴の“破滅”“死”を予感させる物語となっていた。

私は、昴が物語の最後にどのように破滅するのかということを思い、ドキドキしながら読んでいた。
だが、最終的に昴は破滅することなく、盲目のバレエダンサー、ニコ・アスマーと結婚、そして、パリ・オペラ座のエトワールに登りつめる寸前の姿を描くことで物語が終わっている。
破滅的な性向である昴の変化が漫画を読んでいて、あまり伝わってこなかった。

昴のバレエにおける表現の変化を通して、破滅的な昴が、生き延びていく昴に変わっていくことも描かれてはいる。
だが、私はあれだけでは説得力が弱いと思った。

あと、物語であれば、それぞれ登場した人物をエンディングで登場させるなり、説明するなりしないと「作品」としてはしっくりこない。基本的に、この漫画では昴を通り過ぎていった人はそれっきりである。全員を登場させたり、説明するのは無理にしても、もう少しなんとかしてほしかったという感はある。
ラストでの“物語”としての着地が大団円といえるものになっていない。
2作品で20巻になる作品なのだから、そのあたりは配慮してもよかったのではないだろうか。
ていうか、もしかすると、作者は昴がエトワールになってからの物語を描くつもりがあるのかもしれない。

あと、蛇足で気になったこと。
読み直してみると曽田は、「ゾーン」という言葉を使っていた。
「黒子のパスケ」で嫌というほど使われていた「ゾーン」である。
また、才能が突出した者の孤独、というテーマも「黒子のバスケ」でよく描かれていた。
黒子のバスケ」の作者は曽田から影響を受けたりしたのだろうか。
どうでもいいが、そんなことも思った。

あと、月ってなんのメタファーなんでしょうか?
すみません、私はよくわかりませんでした。
「昴」では月の絵は頻繁に登場していましたが、「MOON〜」では皆無というくらい月は描かれていなかったような気がする。


以上。