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伊坂幸太郎・阿部和重による合作小説「キャプテンサンダーボルト」

伊坂幸太郎阿部和重という人気作家の合作。
私の大雑把なイメージでは普通の大学生とかが読んでいそうな伊坂幸太郎蓮見重彦先生とかを好むシネフィルであり、"文学性"的なものを求める読者が多そうな阿部和重という感じだったので、両者の接点はあまりあると思えず不思議な印象をもった。
思い浮かんだのは、阿部和重が山形出身、伊坂幸太郎が大学時代に仙台で過ごした。両作家の小説の舞台として東北が目立つという“東北つながり”くらいだった。

とはいえ、何も調べていないので、事前情報はなしで読み、現在も合作のいきさつ、両者の交流についての知識はまったくない。

表表紙の帯には以下の言葉。

世界を救うために、二人は走る。
東京大空襲の夜、東北の蔵王に墜落したB29
公開中止になった幻の映画
迫りくる冷酷非常な破壊者
すべての謎に答えが出たとき、カウントダウンがはじまった

これを読んだだけでは具体的なストーリーはさっぱりわからない。

帯裏にはこんな言葉。

「阿呆、呆れるくらい変わってないな」
「そういうお前もな。冷凍保存でもされてたんじゃないか」
野球少年だった過去が、一瞬でよみがえる。
二人で立ち向かうのは、人生の暗闇を抜けるための冒険。

二人でしか辿りつけなかった到達点。
前代未聞の完全合作。

こちらを読んでもさっぱりわからない。

具体的なストーリーはどんな感じか。身も蓋もなく言ってしまうとこんな感じだ。

山形の小学校で同じ少年野球チームに属していた二人の少年が、30歳前に偶然再会して始まる荒唐無稽な騒動劇。

山形と仙台で暮らす二人はともにさえない生活を送っていたが、それぞれの事情により金銭的に逼迫していた。
仙台の男は小さな違法行為で小銭を稼いでいたが、経済状況は改善せず破滅に近づいていた。
一方、山形の男は一発逆転をはかって、友人をだましたいかがわしい業者を脅して金をせしめようとしていた。
ところが、取引と称してその業者を呼び寄せたホテルの隣室ではヤバイ商談が予定されていた。
その二つの商談相手が、あり得ないような偶然で入れ違いとなり、山形の男はヤバイ商談のアイテムでもあるスマホを奪って逃げることになる。
スマホをお宝をゲットするための重要アイテムと信じた彼は、逃走する途中で、仙台で暮らす男と偶然出会う。
山形の男は仙台の男を仲間に引き入れ、お宝である"謎の水"をめぐる騒動を繰り広げていく。

この小説での“偶然”が、偶然にしても絶対あり得ないようなアクシデントなのだ。
山形の男は、ホテルのドアボーイをしている友人に、自分の交渉相手が来た時に、部屋の番号を書いた紙を渡すように伝える。
そして、隣の部屋でヤバイ商談をする人間は、偶然にも同じようにそのドアボーイに、部屋の番号を書いた紙を商談相手に渡すように伝える。
そして、両者が渡す紙は“偶然にも”チューインガムの包装紙の白い面に部屋番号を書いたものなのである。
そんな偶然、あるわけがない。

その小説、上記のようなあり得ない偶然が頻発する。神の手に導かれたように物語が進行するといってもいい。

神に導かれるように、水が高いところから低いところに流れるように、都合のよいイベントの連鎖で物語が進行していくのだ。
この場合の神は“作者”である。

非常にさくさく読めるのだが、これってありか、という考えも読みながら頭の中をよぎった。

ただ、これでいいのだろうという気もした。
これはイベント小説なのだ。
山形出身の阿部和重、仙台を舞台にした小説を書き続ける伊坂幸太郎、この二人がイベントとして書いた東北ネタ小説なのだ。
都合のいいラストも、イベント小説ならではの気持のいいエンディングということなのだろう。

文章、ストーリー展開は伊坂幸太郎の小説として出ても違和感のないものになっている。
阿部和重の小説にある、独特の文学臭はまったくない。
そして、いつもの伊坂幸太郎の小説のように、ストレスなく、頭を使わずさくさくと読み進めることができる。

「キャプテンサンダーボルト」というタイトルは、映画「サンダーボルト」から由来していた。
この小説での主役の二人は、小学校のときに「サンダーボルト」を見て、魅了されたという設定になっている。
小学生で映画「サンダーボルト」に夢中になるとというのは、あまりに強引な設定で違和感があるのだが……
山形の男の愛車は「サンダーボルト」に登場したライトフットの乗っていたという白のポンティアック・ファイアーバード・トランザムという設定。

映画「サンダーボルト」は私も好きな映画だ。
あの映画のかもし出していた世界がどのように小説で作り上げられていたのかが気になっていた。
特にラスト。

映画では、死んだライトフットを助手席に乗せ、サンダーボルト(クリント・イーストウッド)の運転する白のキャデラック(だそうです。私は詳しくないのでわかりません)がまっすぐで起伏のある山岳地帯の道を走り去っていくシーンを長回しで映し出していた。
このエンディングは、なんともいえない詩情をかもし出していた。
“山の向こう”に消えていく感じが“なんともいえない”雰囲気なのだ。
あのシーンはマイケル・チミノ監督ならではの詩情だと思う。
ディア・ハンター」「天国の門」にも共通してある独特の味わいだ。


このラストは私の中ではかなりの名シーンだ。
だが、小説のラストではこのような味のあるシーン、シークエンスはまったくなかった。
かなり現世志向の大団円であり、ちょっとがっかりした。

感想の結論としては、伊坂幸太郎テイストの強い、かつ彼の作品の特徴である構成上のひねりはない作品という感じだろうか。
阿部和重の作風はあまり感じない作品なので、読みやすかった。
ストーリーは基本的に時系列上で進んでいくので、いつも以上に頭を使わずに読み進めることができる。小説の語り口のテンポはいい。
あと、個人的に“伊坂作品”としては、この作品に最も村上春樹テイストを感じた。

読みやすく面白いが、あまり読んだ後に残るものがある作品ではないという読後感だった。
創作過程のうえで、両者に刺激はあったのかもしれないが、作品として読んでみると、“合作”ということでの、特別に感銘を受けたものは私にはなかった。

長々と書いてもなんなのでこの辺にする。