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平野啓一郎の小説「ドーン」

ドーン (講談社文庫)

ドーン (講談社文庫)

平野啓一郎の小説は断続的ではあるが、折あるごとに読んでいる。

ウィキペディアを読むと現在41歳とあった。
同年代の作家の中では、「表現力」と作品をバランスよくまとめあげる「構成力」はずば抜けたレベルにある作家だと思う。
また、「企画」(趣向)を練って作品に取り組む姿勢も、作家の模範と言えるような優等生ぶりだ。
バックポーンにある知性・教養・学習意欲も相当のものに思える。

作品自体も断続的とはいえ、読み続けているので、私の中では面白い小説を書く作家なのだと思う。

と言いつつ、断続的にしか読んでいないので、記憶もおぼろげで、作風についてはそのくらいしか語ることができない。

個人的には「葬送」のような長編の歴史ものが読書の喜びを味わせてくれた印象がある。
葬送〈第1部(上)〉 (新潮文庫)葬送〈第1部(下)〉 (新潮文庫)
葬送〈第2部(上)〉 (新潮文庫)葬送〈第2部(下)〉 (新潮文庫)

今回、平野啓一郎の小説を読んだのは5年ぶりくらいだと思う。

タイトルは「ドーン」。短い単語なのでアルファベット「DAWN」でもよかった気はする。
だが、この作家のことなので、色々考えたうえでカタカナ表記にしたのだろう。

講談社創業100周年記念書き下ろし作品として刊行された、との記述が巻末にある。
文庫版で640ページ。かなりの長編である。

裏表紙には以下の要約

人類初の火星探査に成功し、一躍英雄となった宇宙飛行士・佐野明日人(さのあすと)。しかし、闇に葬られたはずの火星での"出来事"がアメリカ大統領選挙を揺るがすスキャンダルに。さまざまな矛盾をかかえて突き進む世界に「分人(ディヴィジュアル)」という概念を提唱し、人間の真の希望を問う感動長編。Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。


この人の小説は文章、構成が明晰なので私は読みやすい。
「ドーン」は複数のプロットが並行して進み、登場人物の絡みかたも複雑な長編小説だが、
本文の前にあった人物表相関図に助けられ、ストレスも感じることなくスムーズに読み進めることができた。

以下、簡単な感想。

感動長編とあるので、壮大なテーマの近未来的SFと期待して読んだのだが、ちょっと違った。
火星への有人飛行士の話だが、SFスペクタクル的な見せ場はまったくない。
むしろ地球上(現世)での生々しい話が続く内容だ。
あまりにも色々なことが描かれている。
それに触れるときりがないのでここでは省く。

上記の要約にあったように、ひとことで言えば、この小説

さまざまな矛盾をかかえて突き進む世界に「分人(ディヴィジュアル)」という概念を提唱し、人間の真の希望を問う感動長編。

ということになる。

ディヴィジュアリズムというのは作者が提唱している、“現代社会における人間理解のための考えかた”のようだ。
本も出している。読んでないが。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)


この小説は、そのディヴィジュアリズムの概念を理解してもらうための物語、といった面もある。

ディヴィジュアリズムの説明はウィキペディアにあるので、引用させてもらう。

『ドーン』の中で平野啓一郎が提示した用語。分人主義(ぶんじんしゅぎ)/dividualism(ディヴィジュアリズム)。 たった一つの人格indivisualを持つのではなく、対人関係ごとに異なる人格dividualを分けることができるという考え方のこと。

「個人」の中には、対人関係や、場所ごとに自然と生じる様々な自分がいるという考え方で、「本当の自分が、色々な仮面を使い分ける、『キャラ』を演じる」ということとは区別される。

「キャラ」と違い、演じ分けたり使い分けたりするひとつの主体があるという操作的operationalなものではなく、向かい合った相手との協同的cooperativeなもの。 (「分人(ディヴ)」は「キャラ」と違い、人がいなくても成立する。海や山などの外界からの影響で別の場所にいるときと違った自分が生まれてくる。それも「分人(ディヴ)」という。)

関わる人や物事があって初めて分化する、自分の中にある一面で、そのような分人が、中心もなくネットワークされているのが個人であるという考え方。

人は「演じている」わけでなくても、「キャラをあえて作っている」わけでも、その場や相手に応じた「自分」になってしまう。人間が多様である以上、コミュニケーションの過程では、当然、人格は相手ごとに分化せざるを得ない。その分人の集合が個人だという考え方。

これを読んで私は、'80年代の初めに受けた大学時代の講義を思い出した。その講義では“ペルソナ(仮面)”というキーワードで現代人の孤独を説いていた。
担当教授は仮面を被って偽りの生活をする人間の仮面をはいだところにある孤独な“実存”について語っていた。
偽りの関係性などという表層的なものでなく、その内面の奥底にある自分自身の“実存”を見つめることが重要と説いていた(と記憶する)。
当時は、「なるほどな」とそれなりに納得して聞いていた。

だが、現代になると“他者との関係性”においてこそ自分があるという考え方が主流になっている。
ディヴィジュアリズムはそこから始まった発想だ。

その教授の講義はそれなりに人気があったと記憶するが、現代の大学生がその講義を聞いたら、違和感を感じることも多いかもしれない。

時代の変化を感じた。

話がそれたので小説の感想に戻る。

有人火星着陸、IT技術の進歩、米国大統領選に絡む陰謀、と舞台は大がかりで華やかな小説だが、煎じ詰めていえば、この小説、こんな話である。

火星旅行中に同僚と浮気した男が離婚の危機に陥るが、やっぱりなんとかやっていきましょうとなる話

エンディングの夫婦和解のシーンは舞台設定の大げささと比べ、なんとも地味な感じではある。
“ショボイ”といってもいいくらいだ。
ただ、これだけ壮大でさまざまなテーマをてんこ盛りにしながら、そのすべての落とし所をこのシーンに集約してさほど違和感なく物語を締めることのできるこの作家は恐るべき構成力、語り口をもっているといっていいのかもしれない。皮肉でなく。

“感動巨編”と私は思わない。だが、読み応えのある小説だった。
面白かったといっていいと思う。

ゴッホの自画像を使った表紙に引かれて、同じ作家の「空白を満たしなさい」(文庫版)も続けて読んでしまった。
こちらも、分人(ディヴィジュアル)をモチーフにした小説だった。
続けて、そちらの感想メモも書いてみることにする。
空白を満たしなさい(上) (講談社文庫)空白を満たしなさい(下) (講談社文庫)


講談社と組んで分人シリーズをやっていたようで、なんか3冊あわせての合本を電子版でも出していた。すごいな……