篠原章「日本ロック雑誌クロニクル」
- 作者: 篠原章
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2004/12
- メディア: 単行本
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著者・篠原章は残念なことに詐欺容疑で逮捕された。
その後は「ミュージックマガジン」などで書いているようだ。沖縄関係が多いようだ。喜納昌吉のインタビューは読み応えがあった。
麻布高校を卒業後、成城大学を出てライターとなりつつも大東文化大学の教授となった人で
事件が発覚したときは、“(六本木にある進学校の)麻布に行ったがいい気になって遊んでいて落ちこぼれた、麻布に時々いるいいかげんな奴”的なひどい言葉がネットで書かれていたのを読んだ記憶がある。
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書いている人の人間性を疑うようなさらにひどいものもあった。敵の多い人だったのだろうか。
とはいえ、この本は'70〜'90年にロック雑誌を読んでいた人にはなかなか興味深いものになっている。
「ミュージック・ライフ」「(ニュー)ミュージックマガジン」「ロッキング・オン」「宝島」「ロック・マガジン」を章立てで取り上げ
取材をして検証した、資料としても価値のある内容だ。
著者の渋谷陽一に対する立ち位置も、なかなか興味深い。
「ロッキング・オン」についてはどちらかといえば否定的な言葉が多い。
近田春夫も最近どこかで、今となってはなぜ(ロック雑誌で)「ロッキング・オン」だけが残ったのかが興味深い、とどこかで語っていた。
近田がどのような意味で言ったのかその記事ではわからなかったのだが……
私自身は高校までは「ロッキング・オン」を熱心に読んでいたが、大学に入った頃にはもう読んでいなかった。
渋谷陽一は「メリットがない」とのことで著者からのインタビューは断っている。
まあ、どちらかこといば“敵対側”からのインタビューなので断って当然ともいえる。
ちなみに気になっていたこととは町田康(町蔵)について阿木譲が語っていた言葉、そしてそこから展開される結論だ。
著者のインタビューで阿木譲はこう語っている。
ここだけだと全体はわかりずらいが……
P271 「ええ。日本において、日本人にとってパンクとは何だったのかっていう問いに対する答え。その答えは町田町蔵です。日本のそういう音楽的状況とか文学的状況の回答が町田町蔵に出ていると。町蔵がぼくのところに最初来たのは、彼がまだ高校生の頃ですよ。でも、彼がエライなぁと思うのは、あれだけ無知だった男が、パンクっていうもので、あそこまで知的な男になった。それはすごい。だから、ロックはぼくは文学だと昔から思っていた。その言語性、文学性みたいなものにどれだけ自分の背中を重く引きずられたか。でも、音楽は文学じゃだめなの。ロック・マガジンでは〜言語というものにすごく捕らわれ、悩み、そして意味性みたいなものをずっと考え、やってきたけれども、この世界には、言葉では語れないものが現実にあるんだと。音楽っていうのは、絶対に文学ではない。リズムとその空間性があればそれで十分」
町田康について“あれだけ無知だった男がパンクのおかげであそこまで知的になった”、というのには笑ってしまうが、なかなか興味深い言葉だ。
しかも阿木の語る音楽には“メロディー”という言葉がないのがすごい。“リズムとその空間性があればそれで十分”なのだ。
ここで語られていることは、文学性をもってロックを語る時代ではもうないということ。
ロック雑誌の終焉を見通した言葉ともいえるのではないだろか。