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三浦しをんの連作中編集「私が語りはじめた彼は」

私が語りはじめた彼は (新潮文庫)

私が語りはじめた彼は (新潮文庫)

三浦しをんの小説を、基本発表順に読み始めてこれで10冊目となる。

私の勝手な感想だが、どうも短・中編を書くようになってから作品に関して内容、トーンにブレが出てきたように思える。

三浦しをんという作家は、ものすごく“書ける”人だ。
作品をさまざまなスタイルで書き分けることが容易にできる人だ。
そして文学、漫画などに並々ならぬ見識を有している点で、30〜40代の他の売れっ子同業者とは一線を画している。

ただ見識があり、さまざまな手法で書けることが、逆に作者のスタイルを確立することの妨げとなっているようにも思える。

以前にも書いた記憶があるが、そんなことを感じた。

彼女の短・中編集を読むと、作品ごとの描写スタイル、トーンに大きな違いがあり、戸惑ってしまう。
その多様さが結果として1冊の小説全体として見たときに効果を生んでいればいいのだが、
私の読後感では、そうはなっていないように思える。
バラバラのままに終わっているような。

今回読んだ「私が語りはじめた彼は」6編からなる中編集。

1人の大学教授を軸に彼とつながりをもつ人間が、各話ごとに主人公として登場。
その主観目線で描かれた1人称小説が6つ並ぶオムニバスとなっている。
そして、中心に位置するはずの大学教授自身は物語には直接登場しないという趣向の話。

わかりやすい構成である。彼女くらいの書く力のある人なら、全体として素晴らしい仕上がりの作品に仕上げそうなものである。
だか、読んだ感想は、「どうも、よくわからない……」というものだった。
複数の世界観がぶつかり、結果として大きな世界が広がる、というところまで到達するのはなかなか難しいのかもしれない。
ただ、そのくらいの力量はある作家だと思うのだが……

小説の巻末には田村隆一の詩「腐刻画」の1節が掲載されている。

この小説のモチーフといったところなのだろう。

「腐刻画」は短い詩だったので、ここに掲載させていただく。
以下の詩である。

ドイツの腐刻画でみた或る風景が いま彼の眼前にある
それは黄昏から夜に入ってゆく古代都市の俯瞰図のようでもあり
あるいは深夜から未明に導かれてゆく近代の懸崖を模した写実画のごとくにも想われた

この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして父を殺した その秋 母親は美しく発狂した

“腐刻画”というのは銅版画などにおけるエッチングのことを意味している言葉らしい。

この詩と小説との関連を語るには、私の知識は不足しているので書くことはできない。

「秘密の花園」と同様、“文学度”の高い作品といえる気がする。

ただ、正直いうと、恋愛小説というものは私の好むものではないので、この作品はあまりピンとこなかった。
「秘密の花園」の方が断然好みである。
読み始めて1つ目の中編「結晶」が比喩多様の文章であり、これまた好むところではなかったのも、
読む気を失わせたところもある。


彼女の小説としては、今までで一番読むことに集中できなかった小説だったような気がする。


あまりインスパイアされることもなかったので、この小説についてはこの辺で感想メモを終える。

恋愛小説好きでない私には向いてない作品だったのかもしれない。