読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

橘玲のブックガイド的エッセイ「『読まなくてもいい本』の読書案内」

 

「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する (単行本)

「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する (単行本)

 

 “知のパラダイムシフト”を平易に解説
だが、著者の転向ぶりのほうが個人的には興味深かった

タイトルには「読まなくてもいい本」という逆説的言葉がある。だが、読んでみると内容は、副題にある「知の最前線を5日間で探検する」といった内容だった。 


著者は「はじめに」でこのように語っている。

二十世紀半ばからの半世紀で、“知のビックバン”と形容するほかない、とてつもなく大きな変化が起きた。これは従来の「学問」の秩序を組み替えてしまうほどの大きな潮流で、これからすくなくとも100年以上(すなわち、ぼくたちが生きているあいだはずっと)、主に「人文科学」「社会科学」と呼ばれてきた分野に甚大な影響を及ぼすことになるだろう。これがどれほどスゴいことかというと、もしかしたら何千年も続いた学問分野(たとえば哲学)が消滅してしまうかもしれないのだ。
この“ビッグバン”の原動力になっているのが、複雑系、進化論、ゲーム理論脳科学などのそれこそ爆発的な進歩だ。
これさえわかれば、知の最前線に到達する戦略は簡単だ。
書物を「ビッグバン以前」と「ビッグバン以降」に分類し、ビッグバン以前の本は読書リストから(とりあえず)除外する--これを「知のパラダイム転換」と呼ぶならば、古いパラダイムで書かれた本をがんばって読んでも費用対効果に見合わないのだ。そして最新の「知の見取図」を手に知れたら、古典も含め、自分の興味のある分野を読み進めていけばいい。(P4)

 章立ては5つで、それぞれのカテゴリについて著者の認識する“知の最先端”の状況を解説したものだ。 

以下の章立てを舞台として、著者はざっくりと説明を進めていく。
1.複雑系
2.進化論
3.ゲーム理論
4.脳科学
5.功利主義

紹介の手法としては、20世紀以降、主に“自然科学”の分野で業績を残した人々の足跡を軸として、作者の視点から“知のパラダイムシフト”を語ったものだ。
パラダイムシフトという言葉が手垢のついたものとなっているからか、ここで作者は新味を強調するため“知のビッグバン”と言っている。

この著者は比較的フラットに特定の意見に偏ることなく、ある意味“身もふたもなく”さっぱりと事象を簡単にかみ砕いて説明する能力にたけているように思った。
「バカが多いのには理由(ワケ)がある」「言ってはいけない 残酷すぎる真実」という刺激的なタイトルのエッセイも出しているが、この本を読んだ印象では、決めつけ的な発想は排除したフラットなものを書いているのではないだろうかと思われる。

それぞれのお題についての基本書には、概論として信頼できそうなものが多かったので、興味を持ったものを読んでみようかとは思った。

知らないこともあり面白く読むことはできた。他の刺激的なタイトルのエッセイも読んでみようと思う。

ただ、個人的にはもっと興味深いことがあった。
作者の“転向”ぶりである。

ウィキペディアを見ると、'59年生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、宝島社で編集者として勤務したのちフリーになった人のようだ。学科はわからなかった。

この本の最初の章で、当時の文系の学生がそうであったように、著者も80年前後のポストモダン(作者はポモと略しているので以下、それに準ずる)の思想家にはまっていたことを告白している。
※私もそうだった。

そして、「当時のフランスの思想家はロックスターみたいなものだった」(P13)と語る。
さらに、ポストモダンの“伝説的なスター”「ドゥルーズ=ガタリ」の難解な文書に線を引いて必死に読んでいたことも。

だが、この章では著者は、ポストモダンのスターが語っていたことは“知的曲芸”でしかなかったと断言する。
ある科学者の反論により、その言説がでたらめだったことが証明され、ポモは終わったと、強い調子で語っているのだ。

ポモの思想家たちは、自分たちの言葉遊び(知的曲芸)を本物の数学者や物理学者が読むなんて想像もしていなかった。彼らの心境を察するに、手品の種を勝手に明かされてびっくりして憤慨したんじゃないだろうか。せっかくウマいこと客を喜ばせてたのに、なんで他人の商売のジャマをするんだ--。 

でもデタラメをどれほど並べたててもデタラメにしかならない。自分が書いたことを理解していない「思想家」なんて、世の中にこれほどカッコ悪いものはない。ということで、ポモは永遠に葬り去られてしまった。ぼくが大学時代に一生懸命読んだものは、ぜんぶクズだったのだ!(P18)

 特にポモの精神分析家のジャック・ラカンについてはボロクソである。彼がある数式を引き合いにして語ったことを、一部の資料から“断罪”している。 

※余談だが、4章「脳科学」ではフロイトのことはこれ以上に厳しく断罪している。

こんな風にポモへの決別を語っている著者ではある。
だが、あとがきではなぜかポモのスターであったミシェル・フーコーを取り上げている。
そして、フーコーとの出会いが自分にとって重要なものであると感慨深げに語っている。
ポモへの厳しいことを書きながら、自分のなかに入り込んでいるポモの思想を否定しきれないものもあるのか、という興味深いものも感じた。


というか、元々ポストモダンという言葉が示す範疇が非常にあいまいなのだ。

明晰な論旨を趣旨とする(であろう)著者としては、ずいぶんポモの取り扱いがぞんざいな気もする。 ポモの代表としてジャック・ラカンを取り上げるのも、微妙な感もある。
ポモの言説すべてがクズでないということは著者自身もわかっているはずだと思う。

今は経済小説を書き、現代科学史ついて滔々と語っていながら、元々は早稲田の一文出身で宝島の編集者であったというのは、相当な“転向者”ではあると思う。
現代科学史の知識もアカデミックなものでなく本を読んで得た独学ということなのだろうし。 

あまりこのあたりは突っ込まれたくないのだろうなという気がした。
著者の現在の仕事からすると、早大一文卒、宝島社の編集者というのは恥ずべき黒歴史なのかもしれない。
裏表紙の略歴にはその部分の学歴・職歴は書かれていない。

何学科だったのだろう。
西洋哲学科だったりしたら、逆に私はこの著者をちょっと信頼すべき人と思うかもしれない。

以前、読書感想文を書いた「ガセネタの荒野」の著者である早大一文出身の大里俊晴は'58年生まれ。
同世代の人間である。


橘玲という人は、宝島社で働くくらいだから時代的には“あのあたりの文化圏”にいたと思われる。
この転向ぶりのほうが、興味深い。

著者は身もふたもない冷徹な論理を展開しながらも、意外に“流行”に弱い人なのでは、などと勘ぐってしまった。

 

話がそれたが、以下に簡単な感想メモ。


この本に書いてあることは、現代科学史上の有名人の業績をざっくりとさらって俯瞰したものであり、それだけのものである。
作者の伝えようとする“知の最前線”を理解するには参考文献を読まないと、自分のものにできる理解は得ることはできないと思う。これだけ読んでも「わかった気になる」だけで終わってしまうと思う。
私自身は2、3日の電車通勤で通読したが、表面上理解したつもりになって、読んだだけで終わったという印象だ。
書かれてあることは天才ともいえるような歴史に名を残す秀才の人々の業績だ。
それを煎じ詰めて解説したものなのだから、通読しただけですぐに自分の血肉として理解できるわけがない。 

分野は違うというハンデはあるが、一般的な知名度が上の池上彰佐藤優あたりのガイドブック、解説本からは正直もう少し、掘り下げた知見が得られるような気がする。これはあくまでの個人的印象だが。