見て読んで聴いて書く

映像、書物、音楽などについての感想

エリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ監督の映画「最強のふたり」

週刊文春の映画評では25点満点で22点という、ちょっとない高得点だった映画。

ウィキペディアによると
“頸髄損傷で体が不自由な富豪と、その介護人となった貧困層の移民の若者との交流を、ときにコミカルに描いたドラマ”
とある。
ストーリーからウェットなものかと思い、見るかどうか迷ったのだが見てみることにした。

実際に見てみると予想と違っていた。
ベタになることを排した淡々とした描写の中に、はっとするような瑞々しいものがあるいい映画だった。

ハリウッド映画のように、“初めに事件が起き、目標や苦難が発生、主人公は葛藤の末に勝
利、もしくは敗れる”という話ではない。

私の中で仕分けしているところの“ストーリー系”か“描写系”かというと、この映画は描写系の映画である。

そして、その描写はドラマチックに誇張されたものではない。
ただ、映像(音を含めて)が非常に生き生きとしている。
登場人物がそれぞれ“生きている”感じがして映画の世界に入り込んでしまった。

スラム街で育ち、ずうずうしく粗野だが、他者に対して屈託なく接することができる黒人青年。しょうもないジョークをいって大口を開けて笑う。その言動には、理屈でなくフィジカルな躍動感、魅力がある。そして、彼は暴力的ではない。そこがポイントだと思う。

一方の大富豪の男性は首から下が麻痺している。クラシック音楽を好み、精妙(?)な詩を作る。女性と文通しているが、会うことなど考えてもいない。

対照的な存在の交流を2人の俳優がとてもいい感じで演じている。

そしてこの映画、結構、説明を省いている。
ハリウッド映画であれば、映画を見ていて観客が疑問に思ったことは、映画の中で説明、解決されることになっている。見ている人間も、疑問が解消されないで映画が終わると釈然としない思いが残る。
だが、この映画はそういったつくりではない。それぞれの事情の理由、その後の展開を描くことに注力していない。
その時点でのそれぞれの事情をもつ人間たちのつながり、関係を描くことに力を入れている。
だから、ハリウッド映画的には説明が足りない、と思えるつくりであっても見ていて気にならないのだと思う。
逆に、しちめんどくさい説明が省かれたことで、生き生きとした“今”が描かれている。

見て、考えるというより“体験”する映画だと思う。

そして、この映画、主人公の黒人青年に魅力を感じるかで感想が変わってしまうような気がする。
私は彼をとても魅力的な青年だと思った。

くどくど書く映画でもないと思うのでこの辺にしておく。