三部けいの漫画「僕だけがいない街」全8巻
入念な伏線と回収だけでなく、キャラクターの変化もきちんと描いた秀作
月刊漫画誌「ヤングエース」で、2012年7月号から2016年4月号まで連載された作品。
コミックは全8巻。
アニメ、映画は見ていない。
現在、外伝「僕だけがいない街 Re」が連載中とのことだ。
絵柄がさほど好みでないので、正直あまり期待していなかったのだが、驚くほどよかった。
'10年代の漫画としては突出した作品ではないかと思う。
この漫画、一言でいえばこんな作品である。
売れない漫画家の青年が、過去に戻り、少年時代にあった誘拐殺人事件を防ぐために奮闘する。
時間を巻き戻して、アクシデントを防ぐために行動するというアイデアを使った作品は数多くある。この作品では“リバイバル”という言葉を使っている。
映画ならトム・ティクバの「ラン・ローラ・ラン」、ダンカン・ジョーンズの「ミッション: 8ミニッツ」などなど。
この“やり直し”アイデアをどう膨らませて、どう面白くサスペンスフルに物語を作るかが作者の腕の見せ所だと思う。
作者はこの点において尋常でないほど頭をひねったと思う。
ともかく、伏線の張り方と回収が非常に細かく念入りだ。
初読では気づかなかったが、再読して楽しめる仕掛けがいくつもあった。
勢いで書いたものでなく、相当念入りな設計図を作ったうえで描きあげた作品だと思う。
そしてもっと重要なことは、その入念に作られた設計図のもとで、キャラクターが魅力的に動いているということだ。
脚本分析のパイオニア的存在だったシド・フィールドは、「素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック シド・フィールドの脚本術(2)」で興味深いことを書いていた。
素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック シド・フィールドの脚本術2
- 作者: シド・フィールド,安藤紘平,加藤正人,小林美也子,菊池淳子
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2012/03/11
- メディア: 単行本
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魅力的なキャラクターをどのように作るかについてである。
彼は、以下の4つを挙げている。
(1)明確で強い“ドラマ上の欲求”があること
(2)独自の“考え方、ものの見方”があること
(3)“態度や意見”を表していること
(4)“変化”すること
この作品の主人公・藤沼悟は、まさにこれに当てあまるキャラクターだと思う。
(1)については、
自分の母親を殺され、容疑者となり追われる主人公は、母殺害につながった過去の誘拐殺人事件を防ごうとする。
(2)については、
モノローグの多用でこの部分を読者に強く伝えている。
(3)については、
主人公は、巻き戻した過去の世界で、事件を防ぐためにより“踏み込んで”発言・行動していこうとする。
(4)については、
リバイバル前の、険がある顔つきで世をすねた“俺”が、ラストでは明るくさっぱりとした表情の"僕"に変わった。
(1)~(4)を踏まえてもう少し内容を書くとこんな感じだろうか。
・主人公はリバイバルした少年時代の世界で、事件を防ぐために懸命に行動する。
だが、その努力は失敗、敗北する。
・彼はもう一度リバイバル、さらに踏み込んで事件を防ごうと必死になる。
だが、その努力は報われず、犯人に敗北する。
・だが、蘇った主人公は、懸命な努力で復活、ついに犯人に追いつく。
・その過程で、主人公のなかで大きな変化が生まれ、その顔も変わっていく。
この作品にある「正しきことをせよ」、という行動理念が私には好ましかった。
少年漫画として読んでいて気持よく、読後感もよかった
ラストに小学校5年の主人公が文集用に書いた作文が見開き2ページを使って絵と描き文字でそのまま表現される。
テキストを引用させていただく。
ぼくの大好きな「戦え!ワンダーガイ」というマンガがテレビになった。
ぼくは大人になったらマンガ家になって、ワンダーガイのようなヒーローを描きたい。
ワンダーガイの好きなところは、敵に負けても何度も何度も立ち上がって戦うところだ。
「つまずいたら、そこが新しいスタート地点だ。」
という言葉が好きだ。
何かを始めた時にゴールがひとつじゃないように、スタートも一度きりじゃないんだと思った。
ひとりぼっちで戦ったワンダーガイは、
「人を信じる心が武器だ。」
と言って仲間を増やした。
そして信じあえる仲間と力を会わせて敵のボスをやっつけた。
ぽくも信じあえる仲間をたくさん作りたい。
失敗してもあきらめずに、何度でもスタートして最後に成功したい。
ワンダーガイの言葉は気持を強くしてくれる。
ぼくはそんなヒーローを描きたい。
まさにワンダーガイはこの漫画における主人公なのである。
そして、ワンダーガイの映像のフラッシュバックは、物語初期に挿入され、ひねくれ者の主人公を突き動かす動機として描かれている。
すべて読んだ後に読み返すとそのことがよくわかる仕組みになっているのだ。
犯人が判明する際の鮮やかなシーン、場面転換、クライマックスなど見せ場のカットのつなぎも上手い。
絵が上手というよりは、ストーリーの展開を踏まえたうえでの、漫画が上手いといっていいだろう。
私にとってこの作品の魅了は何かと考えると、
・謎の展開が興味を引き、驚かせる見せ場がしっかりあり、クライマックスでのカタルシスが大きい。
・主人公の行動の理念、変化に共感ができる。登場キャラクターに魅力があり、その人間関係、変化に共感できる。
ということになるような気がする。
どこか、"運命""宿命"というのものを感じさせる作風もいい。
主人公はアイリという女性、そして犯人に不思議な"縁"がある。
それは、人知を超えた"宿命"を感じさせるものだ。
主人公と犯人についてだけ書かせていただく。
主人公と犯人はまったく共通点がない。
だが、何か“宿命的な”つながりがある。
犯人はサイコパスといっていいタイプの人間だ。
他人より能力は高いが、共感能力にまったく欠けている。
基本的に、誰に対しても、何を対しても心動くことがない人間である。
その犯人が、"「生」の喜びを与えてくれる"者として主人公に対して執着し、心を震わせる者として認める。
そして、「僕達は似た者同士なんだ」と語る。
さらに、主人公を動かす原動力となった言葉「心の中を埋めたい」は、犯人が主人公に語った言葉だったりする。
主人公と犯人の関係に、「ポジとネガ」的なものを感じさせることも作品の深みを作り出していると思う。
そんな関係にある主人公と犯人が対峙するクライマックスのシーンは、今までの伏線を回収する見事な見せ場となっている。
そして、売れない漫画家として「踏み込みが足らない」と編集者から評価された主人公が“変化”したことを、まさに体で表現したシーンともなっている。
歩行困難だった松葉づえ姿の主人公は、医学を超え、意思の力で体ごと犯人に踏み込んでいくのだ。
“踏み込んでいく”という言葉は、この作品を貫くひとつのキーワードとなっている。
ちなみに、この作品の冒頭で、主人公の作品に「踏み込みが足らない」と評した編集者は、ラストに再び登場する。
彼は人気漫画家となった主人公の担当者になっているのだ。
“正義”の行動理念に基づいて、失敗にもめげず何度も行動、踏み込んでいった主人公が正義を成し遂げ、その中で変化していく。
少年漫画の王道といえる作品でもあると思う。
近年の少年漫画の多くが、モラル的には如何なものかと思える作品となってしまった中で、読んでいて気持のいい作品だった。
細かくチェックしていくと書くことがいくつでもあるので以上、特に心に残った点について記しました。